elfの言語学(みたいなもの)

本記事は、id:kousyou氏の記事、http://kousyoublog.jp/?eid=2773に対してわたくしが付けたブックマークのフォローアップ記事です。

前提として

議論を進める前提として、英語とドイツ語との関係を見ておくことにします。英語のもっとも古い資料は7世紀中ごろまでさかのぼることができ、そこからノルマン人による征服が行われる11世紀ごろまでの英語を古英語と呼びます。ドイツ語については、現在でも低地ドイツ語と高地ドイツ語という二つの大きな方言区分があり、標準語とされているのは高地ドイツ語の方なのですが、そちらのもっとも古い段階は古高地ドイツ語と呼ばれ、8世紀中ごろからの資料が存在します。低地ドイツ語の方も8世紀ごろからの資料が残されています。

古英語を話す人々が現在のイングランドに移住を始めたのは、考古学的な証拠によれば西暦400年ごろとされており、それから最初のまとまった分量の資料*1が現れる7世紀中ごろまでは、ルーン文字で記されたわずかな単語以外には、資料は存在しません。イングランドに移住する以前には、彼らは現在のユトランド半島南部からオランダあたりにかけての海岸部に居住していたと考えられています。現在、これらの地域で話されているフリジア語と英語との関係は非常に近く、当時は同じ言語グループに属していたと考えられています。また、上で述べた古い段階の低地ドイツ語*2ともいくつかの特徴を共有しており、フリジア語-英語のグループと一緒にIngvaeonicと総称されることがあります。これに対して、古高地ドイツ語は第二次母音推移*3を生じたという点で、Ingvaeonicに分類される諸言語と明確な対照をなします。これ以外にもIngvaeonic は、[mf, ns, nth]という音連続の[m, n]が失われるという特徴*4や、動詞複数形の変化が失われるという特徴があります*5

ところで、古高地ドイツ語とIngvaeonicは、伝統的な言語学による分類では西ゲルマン語というグループに分類され、西ゲルマン語はさらに北ゲルマン語*6、東ゲルマン語*7というグループとともにゲルマン語派というグルーブを形成するとされてきました。が、この伝統的な三分類に対しては、近年様々な学説があるようで、このあたりも確定的な記述とは言えない感じになってきています。しかし、古ノルド語やゴート語や英語、古高地ドイツ語などの諸言語がゲルマン語派というグループを成すことについては異論がありません。これらの諸言語は、第一次子音推移という音声的な特徴を共有するほか、いくつかの特徴を共有しています。これらの特徴は、ゲルマン語派も属するさらに大きな言語グループの印欧語族の他の言語と比べた時に、ゲルマン語派に所属する諸言語を他の言語から区別する特徴となるものです。

ともあれ、古高地ドイツ語と、古英語などの含まれるIngvaeonicグループは、西ゲルマン語という同じグループに属しており、共通する特徴も多いですが、やや異なる別のグループとして分類されます。問題は、これらの言語の関係をどのように言語学的に表現するかです。西ゲルマン語という伝統的な分類を認めるならば、古高地ドイツ語と古英語は、西ゲルマン語という仮構的な語を祖語として持つ類縁関係のある言語ということになるでしょう。ここで大事なことは、この場合、どちらかの言語がどちらかの言語からderiveした*8というのはあまり適切であるとは考えられないということです。というのも、古英語は古フリジア語などとIngvaeonicグループを形成しているわけですから、分派の関係は、まず古高地ドイツ語をIngvaeonicが分離し、その後、Ingvaeonicが分派したと考える方が適切だからです。

以上を前提として、わたしのブクマについて述べることにします。

本論

kousyou氏の上記記事に対する私のコメントは以下の通りです。

「古英語Aelfは古代高地ドイツ語Aelpより派生」んんん?/北欧神話にもエルフは出てくるので、おそらくゲルマン祖語の段階に(神話とともに)存在していて、そこから英語に継承されたのだと思います。

まず前半から、説明を加えることにします。

「古英語Aelfは古代高地ドイツ語Aelpより派生」んんん?

ここでは、「古英語Aelfは古代高地ドイツ語Aelpより派生」という記述に疑義を示しているのですが、まず、ここで使われている「派生」をどういう意味で取るかということに非常に迷いました。というのも、ここでは二つの可能性が示唆されているように思われるからです。

  1. 古英語は古高地ドイツ語からAelpという単語を借用した。
  2. 古英語は古高地ドイツ語から「派生」*9した。

両者の違いは、前者が古英語と古高地ドイツ語が別個の言語として並立している段階においてAelpという単語が古高地ドイツ語から古英語に借用されたと考えるのに対し、後者は古英語そのものが古高地ドイツ語から分かれて出てきたと考えるという点にあります。後者の可能性は、前節で述べたようにあまり可能性が高いとは考えられません。前者の可能性ですが、1つ問題があります。

まず、古高地ドイツ語の形式ですが、古高地ドイツ語の辞書などを参考にする限り正確にはAlpであるようです。それに対して古英語の形式はælfです。古ノルド語の形式はalvrですので、古英語では冒頭の母音がæ, 古高地ドイツ語と古ノルド語では冒頭の母音がaです。この母音の音色の違いは、実は英語+フリジア語でのみ生じた変化で、これらの言語を古高地ドイツ語などと区別するときの重要な特徴の一つです*10。この変化は英語+フリジア語では生じているが、古高地ドイツ語では生じていないため、古高地ドイツ語からの借用と考えると、この語に英語で音の変化が生じた理由を説明することが難しくなります。

以上が、「古英語の形式が古高地ドイツ語から派生した」という記述にわたしが疑義を示した理由になっています。

で、後半。

北欧神話にもエルフは出てくるので、おそらくゲルマン祖語の段階に(神話とともに)存在していて、そこから英語に継承されたのだと思います。

北欧神話はいくつかの叙事詩と散文などによって知られていますが、まとまったものは古アイスランド語で書かれた「エッダ」と「サガ」です。前者にエルフ*11が出てくるわけですが、これが書きとめられたのは12世紀頃からです。ただし、その中にあるさまざまな伝承についてはその成立はずっと古く、9世紀の初めごろから口承によって伝えられてきたものではないかと考えられています。

「エッダ」には大きく分けて3つの性質の異なる話が収められています。1つは神話であり、もう1つは教訓・格言、そして最後の1つはゲルマン民族の英雄たちの英雄譚です。これらのうちでエルフに関わる部分は最初の神話の部分になります。

北欧神話はもっとも純粋な形でゲルマン民族の神話を残していると言われることがあります。それは、特に「エッダ」が編まれたアイスランドが、キリスト教化が最も遅かったという事実に起因しています。古高地ドイツ語や古英語が話されていた地域が遅くとも7世紀頃にはキリスト教化されていたのに対し、アイスランドは1000年までキリスト教化がなされませんでした。このため、異教的な伝承が生き残ることができたと考えられています。

しかし、神話の中にキリスト教的な要素が全く入っていないとすることはできません。なぜならば、キリスト教化から書物に編纂されるまでの間には1世紀以上の隔たりがあり、なんらかの影響があったことを否定することは難しいからです。ここは、谷口幸男訳「エッダ」の解説に従って「せっかちに専ら異教的とすることも過ちなら、異教的なものをすっかり否定しようとする態度も正しくないように思えるのである」(p.287)としておくのがよいのではないかと思います。

このような態度に立ってエルフについて考えるときにヒントになるかもしれないのが、この形式が古ノルド語、古高地ドイツ語、古英語に残っているということです。alvr, alp, ælfは、規則的な音対応を示しており、ゲルマン祖語の*alβaz*12という形式にさかのぼると考えられます。つまり、少なくとも語形はゲルマン族が共通の言語を話していた時期まで遡ることができると考えられます。さらにこの形式は、ラテン語のalbus “白”や、ギリシア語のἀλφός “皮膚の白くなった部分”などとも対応するので、ゲルマン語以前の印欧祖語の段階に存在した*albhosという形式から継承された語形である可能性があります。

ただし、この語源を取らない辞書や、そもそも印欧祖語の*albh-という形式を借用と考える学者*13もいるため、上で述べたような語源説は、確定的なものではありません。

そのような留保を置いたうえでゲルマン語の形式が印欧祖語にまでさかのぼると仮定すると、元々の意味は「白いやつ」くらいだったのでしょう。形容詞から名詞への転用は、印欧語系の言語ではしばしば起こることですので、この意味的な派生には無理なく受け入れることができます。そこから更に「妖精」のような意味に発達していったのでしょう。これと並行して「白鳥」という意味の*alβizという形式があり、関連からいろいろなことが言えそうですが、ここではそれは避けておきます。

以上、印欧祖語の*albhosという形式から受け継がれた*alβazというゲルマン祖語の形式に「妖精」という意味が生まれ、それがゲルマン祖語から分かれた様々な言語にその妖精に関する様々な伝承とともに受け継がれたのではないか、というのが私のブコメの意図するところでした。それは明らかにゲルマン民族の異教的な伝承であり、キリスト教の伝来とともに目立たない家の隅に追いやられてしかし生き残ってきたというのは、元記事と一致するところです。

以上です*14

*1:Cædmon's Hymn http://en.wikipedia.org/wiki/C%C3%A6dmon%27s_Hymn

*2:古サクソン語と呼ばれる

*3:例えば、英語dayとドイツ語Tag, 英語toothとドイツ語Zahnのように、子音の変化が生じた

*4:英語fiveとドイツ語fünf, 英語usとドイツ語uns

*5:ドイツ語には今も複数に人称による形式の変化が保存されている

*6:古ノルド語、アイスランド語デンマーク語など

*7:ゴート語

*8:このderiveって言葉、この文脈だとわたしは「分派」と訳すかなあ…

*9:おそらくderiveの訳?ただしこのようなケースではあまり「派生」という訳語はあてない気がします

*10:たとえばCampbellのOld English Grammar p.2

*11:alvrとして出てくる。

*12:*の付いた形式は、実際には存在していない再建された形式をあらわす

*13:Frederik Kortlan. 2001. Initial Laryngeals in Anatolian. Orpheus 13-14, pp.9-12.

*14:参考文献一覧つけた方がよろしいでしょうか…。